自担が事務所を辞めました。

タイトル通り・・・

 

 

2012年冬、BSスカパーでやっていた『ジャニーズJr.ランド』の記者会見のコーナーで彼の会。

ファンにかっこいい一言を!と言われ

「お前のこと好きだよ。」

と言い少し照れた顔を見て落ちた。

 

そこから先はひたすらに彼が好きだった。

後ろの後ろで踊っている彼を見るために東京に通った。

立ち位置が端っこでも、DVD化された際映るのが一瞬でもうれしかった。

だって好きだから。

 

アイドル戦国期。

ジャニーズJr.内でも、戦国期だと思う。

彼は1年ほどグループができたことがある。

グループ名から他Gのヲタにもいじられるような・・・

グループができたことがうれしいと、彼はJr.カレンダーで言った。私もうれしかったし、なんにもしてないけど同時に誇らしくもなった。

同担はみんな死ねばいいと思うようなヲタクだったが自担が活躍しないなんてありえないと思っていた。

サマステも出たしクリエも出た。グループごとのグッズでファイルが出たし、ジャニショで個人写真が1度に5枚も出た。

グループがまるでもともとなかったかのような扱いを受けだしてもジャニーズJr.で1番キラキラしてるのは彼だと本気で思っていた。

 

急に雑誌への露出が減り、ジャニーズJr.というとキンプリ、トラジャ、すの、すと、はいびーと事務所に言われているように感じた。

無所、と言われるのが悔しくて、

彼より後に入所したB少年の子が少クラでマイクを持って1列目で歌っていることが悔しくて、

 

去年の9月帝国劇場での出演を最後に彼はテレビ、雑誌・・・

どこにもいなかった気がする。

大阪のジャニショには長い期間運動会の写真が売られていたので私にできることは!と思い、たった2枚の写真をジャニショの近くに行くたびに買い足した。

 

個人写真が数枚売れたところで彼に何が起こるか分からなかったけど、もし辞めないでおこうと思える一つのきっかけになればと思い必死だった。

 

3月、彼と当時Jr.だった彼の友達、そして彼と仲の良かった辞めジュの3人がハワイで遭遇が出ていた。

セクゾバックに着くと思っていたが予想が外れた・・・程度にしか思っていなかった。

セクゾじゃないならクリエに出ると思っていたから。

 

4月1日、彼の友達がTwitterを始めた。

エイプリルフールでしょ?と友達と言い合い特に気にしなかった。

だって彼が辞めるなんて思っていなかったから。

 

4月5日、彼がTwitterを始めた。

人ってこんなに涙が出るんだとびっくりするぐらい涙が出た。

辞めたのが嫌だったのか、何がそんなに嫌なのかわからないが涙が止まらなかった。

今までジャニヲタをしてきて一度も自担が辞めた経験がないのだ。

どうやって生きていけばいいのかわからなくなるぐらい彼は私の生きる目標になっていた。

彼が頑張るから私も頑張る。

メンタルが死んでるので生きるのつらいけど、彼が生きてるこの時代死ぬのはもったいないと思えるほどに。

 

 

彼を応援した約5年間。

死ぬほど幸せだった。

だって好きだから。

 

方向音痴な私が1人で東京っていう大都会にきて、

1人でお泊りして、

コミュ障な私がチケ取引もして・・・

 

彼を好きにならなかったら経験できなかっただろうなと思うことがたくさんある。

 

ラストなんて言わないで

もう一度舞台上表れて

アンコール

 

私はジャニーズJr.として活躍する彼が本当に大好きだった。

照れくさそうに笑った顔も

へたくそなトーク

マイクを持たせてもらっててもぶらんと手を下げ隣のJr.とこそこそしゃべる姿も

ダンスも楽器もやればなんでもできるところも

うちわをもっているとちゃんと見つけてくれるところも

 

帝国劇場で見たジャニワの客席を歩いてはけていく

彼の前を向いた堂々とした横顔は数年たった今でも忘れられない。

 

おつかれさまでした、なんて絶対言わない。

これから先後悔すればいい。

でも、毎日を楽しそうに生きるのが彼だから。

タレントとファン、な関係から知らない一般人同士になった。

彼がどんな生活をしているのか知らない。

 

できればジャニーズJr.として活動した6年間、

舞台に立った時間、

彼が言った一言一言に救われていたファンがいたということを忘れないでほしい。

 

 

 

このブログを書いて彼のファンだった5年間をおしまいにしようと思う。

これからヲタクを続けるのか

新たな趣味を見つけるのかまだ決まってないけど

 

とりあえず、悔しくて泣くのはおしまい。

気づけば大量になった彼の公式写真を整理しようと思う。